2022年6月5日(日) 6月5日といえば…
今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。主人公は鎌倉幕府の2代執権・北条義時。鎌倉幕府ができた頃のお話です。
北条氏の地元は伊豆。
幕府が置かれたのは鎌倉。
朝廷は京都。
なので、この地域には正直あまり関係ない…
と、思いきや、
意外と関係あります。
まず、鎌倉幕府を開いた源頼朝が名古屋生まれ(かもしれない)ということ。
お母さんの実家が熱田神宮なので、

熱田には源頼朝誕生地とされるところがあります。
そして我が一宮市は、「承久の乱」にちょっとだけかかわっています。
中学の歴史の教科書には、
朝廷の勢力を回復しようとしていた後鳥羽上皇は、朝廷に協力的だった第3代将軍源実朝が暗殺されると、1221(承久3)年、幕府を倒そうと兵を挙げました。しかし幕府は大軍を送って上皇の軍を破り(承久の乱)、後鳥羽上皇を隠岐に流し、京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視しました。
とだけ書かれていますが、
鎌倉幕府について書かれた『吾妻鏡』には、
承久3(1221)年6月5日辰の刻(午前8時頃)に、
幕府軍が尾張国一宮に集結、軍議を開いた
というようなことが書かれています。
尾張国一宮とは、

真清田神社のことですね。
ちなみに幕府軍の大将は義時の弟・北条時房と、義時の息子・北条泰時(←御成敗式目の制定で有名)でした。
この時、木曽川の向こう、美濃国には上皇が派遣した朝廷軍がいました。
開戦前に木曽川を挟んで東軍と西軍が睨み合う構図は、有名な関ケ原の戦いや、羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いと似ています。
神社に集結して軍議を開いただけなので遺跡が残っているわけではないのですが、
北条泰時が一宮に来たということを知ったときには、大して興味のなかった鎌倉時代に少し興味がわいてきました。
何かに触れることで興味がわき、知識が増える。
これ、超重要です。
漢字や熟語だけでなく、ありとあらゆる知識の総体が語彙です。
普段から地域の歴史や文化に触れるようにしておくと、語彙が増えます。
最後に余談ですが、木曽川町黒田には「頼朝橋」と、源頼朝が刀を奉納したと伝わるお寺があります。
鎌倉時代に京都と鎌倉を結んでいた「鎌倉街道」が一宮市内を通っていました。
江戸時代の東海道や美濃路のように正確なルートは分かっていないのですが、どうやら真清田神社や黒田付近を通って岐阜県の墨俣方面に至るルートだったようです。
だとすると当教室からわりと近いところ(例えば玉ノ井あたり)で源頼朝も木曽川を渡ったかもしれませんね。
北条氏の地元は伊豆。
幕府が置かれたのは鎌倉。
朝廷は京都。
なので、この地域には正直あまり関係ない…
と、思いきや、
意外と関係あります。
まず、鎌倉幕府を開いた源頼朝が名古屋生まれ(かもしれない)ということ。
お母さんの実家が熱田神宮なので、

熱田には源頼朝誕生地とされるところがあります。
そして我が一宮市は、「承久の乱」にちょっとだけかかわっています。
中学の歴史の教科書には、
朝廷の勢力を回復しようとしていた後鳥羽上皇は、朝廷に協力的だった第3代将軍源実朝が暗殺されると、1221(承久3)年、幕府を倒そうと兵を挙げました。しかし幕府は大軍を送って上皇の軍を破り(承久の乱)、後鳥羽上皇を隠岐に流し、京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視しました。
とだけ書かれていますが、
鎌倉幕府について書かれた『吾妻鏡』には、
承久3(1221)年6月5日辰の刻(午前8時頃)に、
幕府軍が尾張国一宮に集結、軍議を開いた
というようなことが書かれています。
尾張国一宮とは、

真清田神社のことですね。
ちなみに幕府軍の大将は義時の弟・北条時房と、義時の息子・北条泰時(←御成敗式目の制定で有名)でした。
この時、木曽川の向こう、美濃国には上皇が派遣した朝廷軍がいました。
開戦前に木曽川を挟んで東軍と西軍が睨み合う構図は、有名な関ケ原の戦いや、羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いと似ています。
神社に集結して軍議を開いただけなので遺跡が残っているわけではないのですが、
北条泰時が一宮に来たということを知ったときには、大して興味のなかった鎌倉時代に少し興味がわいてきました。
何かに触れることで興味がわき、知識が増える。
これ、超重要です。
漢字や熟語だけでなく、ありとあらゆる知識の総体が語彙です。
普段から地域の歴史や文化に触れるようにしておくと、語彙が増えます。
最後に余談ですが、木曽川町黒田には「頼朝橋」と、源頼朝が刀を奉納したと伝わるお寺があります。
鎌倉時代に京都と鎌倉を結んでいた「鎌倉街道」が一宮市内を通っていました。
江戸時代の東海道や美濃路のように正確なルートは分かっていないのですが、どうやら真清田神社や黒田付近を通って岐阜県の墨俣方面に至るルートだったようです。
だとすると当教室からわりと近いところ(例えば玉ノ井あたり)で源頼朝も木曽川を渡ったかもしれませんね。
