2025年4月22日(火) シリウス紀行【32】愛知県新城市
愛知県新城市。
新城市がある東三河は、戦国時代に徳川氏と甲斐(山梨県)の武田氏によって争奪戦が繰り広げられたところです。

(豊川と宇連川に挟まれた長篠城)
武田晴信(信玄)の跡を継いだ武田勝頼は、徳川家康との決戦を望み、天正3年(1575年)5月、1万5千の兵を率いて徳川方の兵 500が守る長篠城を包囲しました。

(国指定史跡・長篠城跡の空堀と土塁)

(長篠城跡の内部)
徳川軍8千に織田信長の援軍3万を合わせた大軍が長篠城の西3kmの設楽原に到着すると、勝頼は陣地を設楽原に移し、両軍は激突しました(長篠の戦い)。

(長篠・設楽原決戦場跡)
この合戦は、織田・徳川軍が馬防柵を構築し、武田の騎馬隊に対して鉄砲を効果的に使って大勝したといわれていますが、武田軍も鉄砲を使って善戦したこと、織田・徳川軍にも多くの犠牲者が出たことなどが近年指摘されています。


(再現された馬防柵)
☆アクセス
「長篠・設楽原決戦場跡」
(愛知県新城市)
JR飯田線三河東郷駅より徒歩20分
「長篠城跡」
(愛知県新城市)
JR飯田線長篠城駅より徒歩8分

(「鳥居強右衛門磔死之阯」石碑)
新城市がある東三河は、戦国時代に徳川氏と甲斐(山梨県)の武田氏によって争奪戦が繰り広げられたところです。

(豊川と宇連川に挟まれた長篠城)
武田晴信(信玄)の跡を継いだ武田勝頼は、徳川家康との決戦を望み、天正3年(1575年)5月、1万5千の兵を率いて徳川方の兵 500が守る長篠城を包囲しました。

(国指定史跡・長篠城跡の空堀と土塁)

(長篠城跡の内部)
徳川軍8千に織田信長の援軍3万を合わせた大軍が長篠城の西3kmの設楽原に到着すると、勝頼は陣地を設楽原に移し、両軍は激突しました(長篠の戦い)。

(長篠・設楽原決戦場跡)
この合戦は、織田・徳川軍が馬防柵を構築し、武田の騎馬隊に対して鉄砲を効果的に使って大勝したといわれていますが、武田軍も鉄砲を使って善戦したこと、織田・徳川軍にも多くの犠牲者が出たことなどが近年指摘されています。


(再現された馬防柵)
☆アクセス
「長篠・設楽原決戦場跡」
(愛知県新城市)
JR飯田線三河東郷駅より徒歩20分
「長篠城跡」
(愛知県新城市)
JR飯田線長篠城駅より徒歩8分

(「鳥居強右衛門磔死之阯」石碑)
