紀行
2026年9月25日(金) シリウス紀行【49】岐阜県岐阜市など
岐阜の街に、かつて名鉄の路面電車が走っていました。

(平成初年の名鉄岐阜市内線 新岐阜駅前 電停)
岐阜市の中心部と郊外、周辺の市町村を結んで、明治時代末期からおよそ100年の間、地域の生活の足としての役割を担ってきましたが、戦後のモータリゼーションの波に呑まれる形で徐々に路線が縮小され、平成17年(2005年)3月31日をもって全線が廃止となりました。
(旧谷汲駅保存車両の内部)
現在JR岐阜駅北口駅前広場で、引退した路面電車の車両「丸窓電車」が展示されています。

(JR岐阜駅北口駅前広場の保存車両「丸窓電車」)
岐阜県美濃市の旧名鉄美濃駅、岐阜県揖斐郡黒野町の旧名鉄黒野駅、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲の旧名鉄谷汲駅でも、引退した車両や役割を終えた駅舎が保存、公開されています。


(旧名鉄美濃駅の駅舎と保存車両)



(旧名鉄黒野駅の駅舎と期間限定で展示された保存車両)



(旧名鉄谷汲駅の駅舎と保存車両)
愛知県豊橋市や福井県福井市などでは、かつて岐阜の街を走っていた路面電車が今なお現役で活躍しています。



(豊橋鉄道東田本線で活躍中の元名鉄車両)


(福井鉄道福武線で活躍中の元名鉄車両)
☆アクセス
「丸窓電車(岐阜駅北口駅前広場)」
(岐阜県岐阜市)
JR東海道本線 岐阜駅 下車
「旧名鉄美濃駅」
(岐阜県美濃市)
長良川鉄道越美南線 美濃市駅 下車、徒歩3分
「旧名鉄黒野駅(黒野駅レールパーク)」
(岐阜県揖斐郡大野町)
JR 岐阜駅 よりバス「黒野八幡町」下車
「旧名鉄谷汲駅」
(岐阜県揖斐郡揖斐川町)
樽見鉄道樽見線 谷汲口駅 下車、徒歩40分 またはバス
樽見鉄道樽見線 谷汲口駅 よりバス「昆虫館前」下車
養老鉄道養老線 揖斐駅 よりバス「谷汲山」下車、徒歩5分
JR 岐阜駅 または 名鉄岐阜駅 よりバス「谷汲山」下車、徒歩5分
2026年8月26日(水) シリウス紀行【48】佐賀県唐津市
佐賀県唐津市。
今から430年ほど前の安土桃山時代、肥前国名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋)に、人口20万を超える世界最大規模の都市がありました。
(現在の名護屋)
尾張国中村(現在の名古屋市中村区)出身で、全国統一を果たした羽柴(豊臣)秀吉は、明(中国)の征服を目指し、全国の大名を動員して大軍を二度、朝鮮に派遣しました(文禄の役、慶長の役)。

(名護屋城大手口)
その出兵拠点として築かれたのが肥前名護屋城です。
(名護屋城本丸からの眺め)
(秀吉の居館があった名護屋城上山里丸の石垣)
(名護屋城天守跡)


(名護屋城中心部に残る石垣)
城の周囲には徳川家康や前田利家ら、150以上の大名が陣を構え、城下町もつくられました。
(徳川家康陣跡)
(前田利家陣跡)
それまで何もなかった寒村に突然大都市が出現しました。
(名護屋城下町跡から見た名護屋浦・呼子方面の眺め)
秀吉や大名たちは出兵に備えただけでなく、茶の湯や能など、文化の交流も行いました。
(名護屋城博物館に再現された秀吉の「黄金の茶室」)
慶長3年(1598年)に秀吉が伏見城で病死すると朝鮮から撤退し、名護屋城は廃城となりました。
(廃城後に崩された石垣)
名護屋の繁栄は7年間という短いものでしたが、大名たちが名護屋から持ち帰った文化や築城技術は、その後全国各地で発展しました。
(加工された石が積まれた石垣)
☆アクセス
「国指定特別史跡・名護屋城跡並陣跡」「佐賀県立名護屋城博物館」
(佐賀県唐津市)
JR筑肥線 唐津駅 より徒歩8分の大手口バスセンターより
路線バスで45分、名護屋城博物館入口 下車
2026年7月31日(金) シリウス紀行【47】愛知県名古屋市
愛知県名古屋市中区三の丸。

(名古屋市中区三の丸の官公庁街)
愛知県庁と名古屋市役所がある名古屋市中区三の丸は、江戸時代に名古屋城の三之丸だったところで、尾張徳川家(尾張藩)の重臣たちの屋敷がありました。
(名古屋城三之丸外周の外堀)
名古屋城は慶長15年(1610年)に徳川家康によって築かれて以来、江戸時代を通じて尾張藩の政庁として機能しましたが、県庁と市役所がある三の丸地区はその役目を引き継いでいるといえます。

(江戸時代に藩主が暮らした名古屋城二之丸の庭園跡)
名古屋市役所本庁舎は昭和8年(1933年)に、

(名古屋市役所本庁舎)
愛知県庁本庁舎は昭和13年(1938年)に建設されました。

(愛知県庁本庁舎)
ともに国の重要文化財に指定されています。
県庁舎と県庁所在地市役所庁舎の両方が重要文化財に指定されているのは愛知県だけです。


(名古屋市役所本庁舎の内部)
☆アクセス
「名古屋市役所」「愛知県庁」
(愛知県名古屋市中区三の丸)
名古屋市営地下鉄名城線 名古屋城駅 より徒歩5分。

2026年6月29日(月) シリウス紀行【46】愛知県清須市/名古屋市

(清須城本丸跡と五条川)
織田信長が桶狭間の戦いに勝利した頃の本拠地として有名な清須(清洲)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての尾張の中心でした。

(清須城跡[清洲公園]に立つ織田信長像)
織田氏の後は、羽柴(豊臣)氏、徳川(松平)氏など、有力な大名が清須城主となり繁栄しましたが、

(発掘された清須城の石垣)
慶長15年(1610年)、徳川家康の命令で城と町が丸ごと名古屋へ移転することになりました。
これが「清須越(きよすごし)」と呼ばれるものです。

(清須城本丸北側の水堀跡)

(清須城天守台跡)


(清須城土塁遺構)
名古屋市の名古屋城に現存する御深井丸戌亥櫓(西北隅櫓)は「清須櫓」とも呼ばれ、清須城の古材を再利用して建てられたと考えられています。


(国指定重要文化財・名古屋城御深井丸戌亥櫓[西北隅櫓])
名古屋城には
「慶長七年」
と刻まれた擬宝珠も保存されています。
これは名古屋城下を流れる堀川の五条橋(五條橋)に、昭和13年(1938年)に現在の橋に掛け替えられるまで実際に据えられていたもので、刻まれた文字は清須越が始まる8年前の年号です。

(名古屋市・堀川に架かる現在の五条橋)
五条橋はもともと清須の五条川に架けられていて、清須越にともなって名古屋城下に開削された堀川に移されたと伝わっていますが、この擬宝珠はそれを裏付けるものです。

(現在の堀川・五条橋に再現された擬宝珠と「慶長七年」刻印)
現在の五条橋にも清須越の象徴である擬宝珠が再現されています。

(清須市・五条川に架かる現在の五条橋)

(平成元年に清洲町の町制100周年を記念して建設された清須城模擬天守「清洲城」)
☆アクセス
「清須城跡(清洲城、清洲公園)、五条橋(五条川)」
(愛知県清須市)
名鉄名古屋本線 新清洲駅 下車、徒歩10分
JR東海道本線 清洲駅 下車、徒歩15分
「五条橋(堀川)」
(愛知県名古屋市)
名古屋市営地下鉄鶴舞線・桜通線 丸の内駅 下車、徒歩7分
「名古屋城御深井丸戌亥櫓(西北隅櫓)」※内部非公開
(愛知県名古屋市)
名古屋市営地下鉄名城線 名古屋城駅 下車、徒歩15分
2026年5月22日(金) シリウス紀行【45】愛知県豊田市
愛知県豊田市。

(現在の豊田市中心部)
自動車産業で有名な豊田市は、かつて「挙母(ころも)市」という市名でした。

(駅名に残る「挙母」地名)
江戸時代には挙母(衣)藩によって、現在の豊田市中心部に挙母城と城下町が築かれました。

(水害により未完成に終わった挙母城[桜城]跡に残る石垣=豊田市元城町)

(丘陵上に移転して築かれた挙母城[七州城]跡=豊田市小坂本町)

(挙母城[七州城]跡に残る石垣と、再建された隅櫓=豊田市小坂本町)



(挙母城[七州城]城下町の町並み=豊田市樹木町・常盤町・上挙母町)
この地域は矢作川などの水運を利用して古くから産業が発達し、明治・大正時代には養蚕・製糸業が盛んでしたが、

(豊田市中心部を流れる矢作川)
昭和に入って自動車工場が建設され、乗用車、トラック、バスなどの生産が始まると、挙母は自動車産業の中心地となりました。


(論地ヶ原と呼ばれる原野に建設された大手自動車メーカー本社工場=豊田市トヨタ町)
昭和34年(1959年)には自動車メーカーの社名にちなんで、挙母市から豊田市へと市名が改められました。

(名鉄豊田市駅)
現在では豊田市付近に多くの自動車関連工場が集まり、地域全体で自動車の生産が行われています。
☆アクセス
「挙母城(七州城)跡・豊田市博物館」
(愛知県豊田市小坂本町)
名鉄三河線 豊田市駅・愛知環状鉄道 新豊田駅より徒歩約15分
名鉄三河線 上挙母駅・愛知環状鉄道 新上挙母駅より徒歩約15分
「挙母城(七州城)・城下町の町並み」
(愛知県豊田市樹木町・常盤町・上挙母町)
名鉄三河線 上挙母駅・愛知環状鉄道 新上挙母駅より徒歩数分
「挙母城(桜城)跡」
(愛知県豊田市元城町)
名鉄三河線 豊田市駅・愛知環状鉄道 新豊田駅より徒歩約10分
